妄想垂れ流し野郎

日頃思いついたことを吐き出すマル

大学の講義って何を得ればいいのだろうか?

僕が通う大学はFランだ。

 

いや、世間一般的には中間レベルだろうがそれをネット上で語ると情弱だの何だの暴言を吐かれるし、まして学歴厨の多そうな昨今においてそのようなことを自ら語ることはピラニアが潜む濁った川に飛び込むようなものだろう。

 

 

僕は大学に入るまでそこがいかに素晴らしい場所で華やかな場所であるか想像を膨らませていた。誰もが憧れるキャンパスライフが僕の頭のなかに広がっていた。

 

しかし蓋を開けてみればどうだろう。

日々学びたくもない講義を聞き、全くもって理解出来ていない内容に対してさも1から10まで然りと学ばせて頂きましたと言わんばかりの感想を添えて教授へのレスポンスシートを書き上げるのだ。

 

だがこのレベルでもマシな方である。何故なら話半分ではあるが一応講義には出席している。

 

 

これがひどくなってくると講義にすら出ない。

テストのみで評価をする講義であれば1、2回テストのタイミングで出席すれば単位取得は可能だ。

 

非常に簡単であることもあるし、僕は体育系の部活動に所属しているため後輩を利用すればレジュメも簡単に入手することが出来るからだ。

 

だが考えるまでもなくこんなことしていては、単位をとることは可能だが僕のためには何一つなっていない。学歴を獲得するためだけに大学に行っていると割り切るならそれもありだが、僕の大学はMARCH以下。そこにこだわりを持てる程ではない。

 

 

 

僕は残念なことに馬鹿ではないのだ。

別に知識があると言っているわけではないし、教養だってない。けれど頭の回らないタイプの人間ではない。

 

それ故に自分がやっていることに対して不毛さを感じてしまっている。

 

多分学ぶことに集中すれば何かを得ることは出来るのかもしれない。最悪ブログのネタにもできる。

 

だがやっぱりどうあがいても辛い。考えても見て欲しい興味もない話を90分間延々と話されることへの苦痛を。ましてそれに対して反応を逐一求められたり、最終的には理解度を計測される。

 

興味のある分野なら自らのためになっていると感じられ充実感もある。だが大半の授業は興味が無い。しかしレパートリーが少ないゆえ必ず取らざる負えない。しかも大量に。

 

 

 

僕が思い描いていた大学はこうではなかった。

学びたいことを学び、それについて追求し、そこを評価されることで単位を得て卒業に至る。

 

しかし現実はずる賢くいけば幾らでも楽をできるし、まして興味のある分野だけ学べばいいというものでもない。間違いなく今後の人生で使わないであろう知識を学ばなければならない。

 

君らに想像がつくであろうか。

日本史であれば大体の事柄は日本が悪い。韓国への謝罪がないなど言語道断。君たちは恥ずかしい人間だ、と毎授業説かれる屈辱を。

マーケティング論など名ばかりで自分がいかに尊大な人間であるかを自信の書籍から引用しつつ語る授業を。

最悪なのは授業内で公開した動画の内容を答えるテストなんてものもある。出席して動画を見なければ決してわからないのだ。そこに尋常ならざるぐらい精通していたとしても。

 

 

大学なんてところは馬鹿か天才かあるいは割り切れる人間しか行ってはいけない。

 

僕のように中途半端でかつ時間を浪費している感覚に対して、学歴を得るための犠牲であると割り切れない人間であれば行くのはやめた方がいい。

 

大学で得れることは昨今インターネットで調べればそれ以上に得られる。

ちょくちょく聞く、大学の教授たちはその道のプロだから質問をすれば予想以上の知識を伴って返答を貰えるよ、なんて話だ。

 

薄っぺらい話だ。

学生全てがそんなこと出来ると思っているのか。そういうことが出来るのは自信家か真面目か天才だけだ。僕は当てはまらないし、大多数もそうだ。

 

結局のところ自分で学びたい分野を自力で学んだほうが効率的。

ネット上にゴロゴロ転がっている意識の高いこと大好きな奴らや、学歴が全ての人間の話には耳を貸さず自分がなすべきことを高校生の成熟しつつある頭脳で判断すべきだ。

 

大卒でなければたしかにコンプレックスを抱える場合もあるだろう。しかし今後はオンリーワンが評価される時代になっていく。大卒や高学歴で企業に勤める人間が正義などという馬鹿げた時代は終わる。

 

自分がやりたいことは何なのか? それをするために必要な物は何なのか? 自分の中で解答を生み出せなければ後悔しか生まれない。経験から学ぶものは愚者で歴史から学ぶものは賢者と呼ばれる。しかし、歴史から学歴を持ったほうが良いと学ぶことは果たしてこれからの時代を考えた時正しいのだろうか。

 

間違いなく今後は個人のオンリーワンの能力が評価される。

何故なら資本主義が成熟した時、つまり大量生産による供給システムが確立されつつある現代において必要とされるものはオリジナリティなのだ。人とは違う感性を全ての人間は保有する。その感性を研ぎ澄ませることが出来なければ未来を生き抜くことは難しい。

 

 

大学の講義の話から何か変な話にそれていったけどこのブログの目的は主に筆者の毒を吐き出すことにある。たまに価値ある記事も書くけど基本こんな推敲もしてない記事をネット上にばらまくことが目的だ。

 

いつもどおりサムネイルだけは着飾るために可愛い女の子の画像は貼るからそれでも見て荒んだ心を癒して欲しい。それじゃね。

 

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