妄想垂れ流し野郎

日頃思いついたことを吐き出すマル

10000字の記事を書くという苦行

僕はしっきーのブログにならってあるブログにて10000文字は書けるであろうネタをひねり出して、それについて黙々と書いている。いや、書いていた、か。

というのもあまりにも精神衛生上よくないと思い、途中で切り上げて現在休憩に入っているからだ。読者視点からすれば10000字なんていうのはあっという間に見えるかもしれない。しかも言ってしまえば文庫本は100000字とかそこら辺で構成されているわけだから、その10分の1程度パパッと書き上げることが出来そうではないかと思う。

 

しかしそうではないのだ。

というのも件のサイトで書いているネタは専門性が高い記事だ。そのため自分の考えを述べるというよりもハウトゥー、つまりは既存の知識をまとめているに過ぎない。それならなおのこと簡単に思えるかもしれないがこの知識を調べる作業が非常に苦痛なのだ。

僕がもしこういった知識を調べるまでもなくアウトプットをすることができるぐらい詳しい人間であったなら苦労しなかっただろうが、あやふやな部分が多く逐一調べながら出ないと書けない。そうすると一つの話題にかかる時間が非常に長いのだ。

一つの話題に手間取れば全体の記事にかかる時間も伸びていくのは道理で面倒くさくて死にそうになる。

 

要はいくらアクセス数を稼ぐためとはいえやりたくないのだ。しかもその狙っているキーワードは流入数がそんなに多いわけでもないし、そのくせライバルサイトが大手だ。テレビCMなんかを流すぐらいだからサイトへのリンク数も非常に多いだろうし、そうすると幾ら文字数を稼いだ所で無理なのではないかという不安も脳裏によぎってしまう。

 

こうやって自分の考えをただひらすらに吐き出していると気持ちは少しずつではあるが晴れやかになる。感覚的に生きることって大事だと思うんだ。

 

感覚的っていうのは言わば自分に正直に生きるということ。アクセス数を稼ぐため僕自身が自ら行動しているからこれも感覚的行動ではあるがやはり苦痛が伴う以上、続けにくいことは確かだ。だからその鬱憤を晴らす上でこういった誰が読んでも(自分が後に読み返したとしても)得をしない記事をただのんべんだらりと垂れ流すことも精神を慈しむうえで重要なことなんだ。

 

こうやって自分の考えを、しかも文体とか読みやすさとか何も意識しないで書き殴るのは意外と気持ちがいい。今書いている僕しか得をしないことは確かなんだけど、それが生きていく上で一番重要なんじゃないかな。

人間生きていくと必ず社会的になってしまう。なんでかって言うと人間が必ず他者からのストロークと呼ばれる反応を楽しみにしてしまうから。楽しみなんてレベルじゃないか。大げさに聞こえるかもしれないけど食事に近い。なければ死んでしまうほど重要な事柄なんだ。

 

つまりね。多分読んでいる人はいないだろうけど何が言いたいかといえばこんなクソみたいな記事書いてるし、途中の話と矛盾するけど反応が欲しいんだ。罵倒してくれるだけでもそれは反応に含まれていて、そんな小さな事項でも僕は嬉しい。

 

よく空腹は最高のスパイスっていうだろ。それに今回語ってることも近いんだ。人からの反応をたくさんもらっている人からすれば罵倒や怒り、嫉妬といった感情はうざったいし要らないんだけど、日頃から反応をもらっていない人間。例えるなら食事を全然摂れていない人間からすれば何でもいいから反応が欲しいんだ。例えそれがマイナス的なストロークだとしても精神的に空腹なら最高においしいものなんだよ。

 

僕は今空腹なんだ。

なんでもいいから僕に恵みを与えて欲しい。わがままなのはわかるけどね。実際どこの誰とも知らない奴がこんなに読みにくい構成で書いた文章なんて僕は絶対に読まないしね。

 

僕の中に記事に落ちを付けるのが習慣になっていて今回もどうやって終わりを迎えようか迷ってるんだけど、どうしようか。

 

わかった。じゃあ今の僕が美少女になったとしてどんな表情をしているか画像を貼って終わりにしよう。はてな民ホイホイもできるしね。言ってる意味がわからないって? 見ればわかるよ。じゃあね無駄な時間をご苦労さんでした。

 

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