僕のアイコンがベイマックスに兜を載せたものである2つ理由
はじめに適当な思いつきで情報を発信し続けることがどれだけ幸福なことか知ってほしい。
僕は長年専門性の高いブログを営んでいた。
そこでは真面目に間違った情報を流さないよう、人に有意義な情報になるよう試行錯誤しながら一記事一記事丹精込めて作り上げている。
しかしそれは非常にストレスな行動なのだ。
ネタは思いつかないし、頑張って情報収集をして書いた記事に対してそんなに反応が無かったりしたらイライラする。
そのためこうしてどうでもいい話を大量に発信できるブログというのは何も調べず、深く考えず書くことが出来るため、むしろストレスを発散できるのだ。
ここまで書けばわかると思うが当ブログはかなりいい加減だ。
いい加減というのは相手を不快にする。
もしこんなブログでも有意義な情報が乗っているかもしれないと思い見る人がいるかもしれない。
そうなれば文章を読んだ後不快になること間違いなしだ。
しかし僕としてはこのスタイルを捻じ曲げることは不本意。
そこで僕のアイコンであるベイマックス人形に折り紙の兜を載せたこのアイコンが役に立つのだ。
かわいいは正義
この言葉はネット上で知らない奴がいないほど浸透している。
言ってしまえば慣用句みたいなものだ。
言葉の意味のまま、カワイイければ大体なんでも許される。認められるということ。
ベイマックスは愛嬌がある。
それは即ち可愛いと言ってしかるべきだ。
そう、僕が書いた文章を読みどんな奴が書いているんだと怒り心頭の読者がプロフィールの写真を見た時こう思うのだ。
「なんだカワイイじゃん」
そう思った瞬間怒りは鎮まり、どうでも良くなってしまう。
つまり一つ目の理由は可愛さで読者を鎮めるためだ。言ってしまえば神社で神々に供えるお供え物だ。
差別化
しかしこのベイマックス人形持っている人間は多い。
であるならば、いずれ僕と同じようなことをする人間が生まれる可能性は否めない。
すると僕が始めたカワイイは正義作戦がオンリーワンの価値をなくし、アイコンを見た読者もまたベイマックスアイコンか、と哀れみの目を向けてくるようになるに違いない。
そこで焼け石に水のようであるが差別化である。
僕は考えた。
どうすれば僕のベイマックスに他の人間と違ったアイデンティティを持たせることが出来るのかと。
ぼんやりと考えていると趣味で買った折り紙が目に入った。
このベイマックス人形が鎮座する姿を見てどこか武将のようなふてぶてしさを日頃から感じていた僕は即座に金色の紙を手にし兜を折り始めた。
そうしてこの妄想垂れ流しても許されそうなアイコンが誕生したのだ。